ゾンビからヒトへ。。

久しぶりの更新です。

この間。。。息子は大学も無事に決まり、っつっても志望校には残念ながら落っこちましたが、LA近郊にある大学に通うことに(受かってよかったわー^^)メジャーはAerospace Engineeringで9月からは寮生活。ま、近いんでね、週末は帰って来ることになりますかね。で、ハイスクールシニアのメインイベント(笑)プロム(場所はハリウッド)も先日ありました(^_^;) そりゃもうご立派なスーツをレンタルし、がしかし、どう見ても超ド新前のウェイターにしか見えなかったけどw メチャ楽しかったようです。持ち込んで良いものダメなもの、っていうリストが配られてあって、拳銃や武器は持ってきてイケマセン。そして、コンドームとピルは持ってくるのオッケーよ、だそうだ。あはは。。

来週には卒業式が控えています。とうとう、本当に卒業なんだなあ。。キンダーから数えて13年間、みんなみんなよくがんばりました。

さて。。。

前回の記事を書いたほんと直後のことなのですが、毎年受けている婦人科検診、マンモグラフィーの方で再検査の通知が来ました。けど、自分自身での触診やら何やらでも、ひとつも不具合なんてないから(しこりもなけりゃ引きつれも分泌物も、とにかく何一つない)

まあ何かの間違いかなあなんて思っていましたが、再検査理由をググってみると、かなり怪しい。ググればググるほど不安になり、その再検査もわざわざ電話がかかってきてとにかくすぐに予約を、と言われ、オットに付き添ってもらって行ったところ、その場で「Breast Cancer(乳がん)」と告げられました。

頭の中はホワイトアウト、目の前は真っ暗。その後のことはつい最近までのこと、あんまり覚えていませんねえ。とにかくゾンビのようになって家の隅っこでずっとうずくまっていたように思います。オットと息子が支えてくれてなかったら、どうなっていたか、分かりませんねえ。。

元々持病でSLEがあるから、そして、身内親族にがん患者って、いないんですよね。だから自分はあまり関係ないんじゃないか、とか、そもそもSLEっていう自己免疫疾患があるからこれ以上の深刻な病気になんて、とうてい受け止めきれないし、そんなん、やめてよね、そんな風に考えていたんだと思います。生まれて初めての全身麻酔は5歳の時。そこから数えてアホほど病院通いして、、それ以上まだあるのか?! なんかもう、本当に色々嫌になってずーっと泣いていたような気がします。

世の中にはもっともっと大変なことを抱えている人がいるんですよ、と慰められたところで、いっぱいいっぱいな状況で周りを慮る余裕など、微塵もありませんでした。

大学病院で検査から始まり約2ヶ月半、10日ほど前にようやく手術が終わりました。両胸を全摘し同時再建しました(←いまここ。これがもう、ものすごく痛いんです!!)術後に取ったものの最終病理も出て、今後は腫瘍内科医とアポイントメントを取り、これからの治療方針を決めることになります。アメリカはオンコタイプDXが保険でカバーされるので、まずそれで調べてからの治療方針です。

マンモグラフィー(3D トモシンセシス)を読む放射線医が高濃度乳腺(デンスブレスト)の私の写真から僅かに見られた構築の歪みを見逃さず見つけてくれたおかげ、Bresr Cancerと告げられてうつむいて泣く私を抱きしめてくれた放射線医のドクターとテクニシャン、その後に会った乳腺外科医のドクターはきれいなブロンドのとても誠実で優しい女医さんでした。「大丈夫よ!」ってハグしてそばにいてくれるような。。オットの上司はMD(ドクター)なので、私の状況を大変良く理解し、オットを支えて下さいまいした。日本にいる両親や弟も、たくさんのメッセージを送ってくれ、ご近所に住むふじ子ビビ子のママはお料理をしこたま作って持ってきて下さいました。。><。。

悲劇の主人公のように、ひとり不幸な錯覚に陥っていましたが、手術終わって、治療開始はまだではあるけれども、だいぶ冷静になれたのでブログも、、ほんとはもうこのままフェードアウトした方がいいのかなあ、、とか考えましたが。。書き残しつづけることにしました。今回のことで、どれだけたくさんの人に支えられたか、数え切れないし、感謝の言葉が見つかりません。。ありがとう、の言葉なんかじゃ、到底足りません。別に、私が立派な素晴らしいニンゲンだとか、そんな意味じゃまったくなく、支えられて支えて暮らしているんだと、浅はかな自分自身に教えてもらった、そんな気がします。

 

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病室から見えた景色


LA市内にある大学病院だったのですが(手術室の数、なんと24!ホントは?25なのだけど、13は欠番なのだそうですよ。)、ナースから何から何まで、プロフェッショナルでしたねえ、、みなさん。プロ中のプロ、本当に関心しました。

手術当日、付き添いは1階にある広い広い待機用のロビー(Gold Lobby) で待つワケですが、術後わざわざ執刀医がそこへ降りてきて、患者の付添人を自ら見つけ声を掛け、説明をしにやって来てくれたそうです。。オットは涙がでるほど感激したそうです。執刀医が直後わざわざロビーまで出向いてくれるんですよ? 患者を、そして患者を思う家族の気持ちに寄り添うとは、こういうことを言うんだな、、って。。この病院にかかることになって、本当に良かったなと、心底思った瞬間でした。

病室はどういうわけか個室でした。しかも、ソファーベッド付きの広い部屋だったので、オットが泊まり込みで面倒見てくれました。。本当に助かった。。><。。眺めのいい部屋で、、でもほとんど起き上がれなかったので、窓際に立てたのは退院の日の朝。青い空をキレイだなと思えた久しぶりの時間でした。

 

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いい眺めでしたねえ^^


退院の日は、それはそれはきれいな青空でした。

お潤の「Baby blue」 嵐の「Treasure of life」「花」SMAPの「オリジナルスマイル」V6の「COLORS」TOKIO の「ロースピード」 Kinki Kidsの「フラワー」ジャニオタなんでね(笑)聴いてましたねー。。

そういえば、、周りの人にどう言えば良いのか、今も悩んでいます。親しい2−3人にしか伝えていません。信頼できる人にしか伝えられていませんねえ。

日本に住む友人にも、突然乳がんだなんて、メールやラインを送るのもはばかられます。。返事に困ってしまうだろうなあ、、と思うと、なかなかいい出せませんねえ。。

まだ全然パニックから立ち直ったワケではないし、これからどうなってしまうのかな、という不安と、今後ずーっと続く転移の恐怖。忘れて生活することは不可能でしょう。

私乳がんなんです、なんて言われたって、迷惑に感じる人もきっといるんじゃないだろうか、もしくは、、患者マウンティングからくる「お気の毒に」という同情はまっぴらゴメンだわ、などなどね。。けれども、下を向いて怖い怖いと泣いて生活するようなマネだけはしたくない。強くはなれないかもしれないけれども、決して気持ちでは負けたくない。それだけは、忘れないように。楽観的にはまだまだなれないけれども。

今後、抗がん剤が始まるかもしれないしどうなるかまだまだ不明です。

転移とか、その検査とか。。考えると、、正直とっても怖いね。。

☆☆☆

しこりを感じない乳がんもあります。浸潤性小葉癌(私はこれです)これは、薄いシートが広がるように乳腺内に広がるそうです。だから、はじめのうちは全く自覚はない場合が多い。これが進むと肥厚といって、触れるとなんだか厚いかんじがするな、と感じる場合がある。なので、気づいたときには随分と大きくなってしまっていた、、そんなこともあります。一口に乳がんと言っても、本当に人それぞれ。。「あれ?おかしいかな?」というものがあったら絶対に「乳腺外科のある病院」へ行ってほしいなあ、と。。

マンモグラフィーは痛いとか被爆とか、、そういうことアホなこと言うマスメディアは完全無視して、私は年に一度の検診を勧めたいと思います。前年との比較、これが大変有効だったりします。見逃して進んでしまったら、取り返しがつかないから。私の乳がんを見つけてくれた放射線医が言っていました。2センチ以下で見つけることがとても大切なんです、と。

☆☆☆

もうすぐあゆはぴのDVDが出ますね~~~❤ 本当に楽しみです^^v

 

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by dear-xoxo | 2017-05-30 19:05 | 暮らし